vol.24 2004年FIFAフットサル世界選手権から10年
文■座間健司
2004年12月5日16時に台湾大学総合体育館でキックオフされた「FIFAフットサル世界選手権」決勝でスペインが2-1でイタリアに勝利した(ワールドカップと大会名称が変わったのは2008年ブラジル大会から)。
あれから10年。
フットサルの勢力図は変わっていない。
決勝はスペインとイタリアというカードだったが、多くの人の印象に最も強く残ったゲームは準決勝のスペイン対ブラジルだっただろう。"事実上の決勝"と誰もが口をそろえていた。スペインの組織力、ルイス・アマドの存在感。全盛期のファルカンがルーレットからスペインの全選手を抜き去りポストに当てたシュート。そしてPKをバーに当て、涙を流すセレソンのネット。最も観衆の熱狂させたのは決勝ではなく、スペインとブラジルが相まみえた"事実上の決勝"だった。
2008年ワールドカップ、2012年も決勝はブラジル対スペインだった。2004年の4年前も決勝戦はこのカードだった。10年経った今もこの2ヵ国が依然として図抜けている。
当然、この10年の間に変わったこともある。古豪ロシアが再び強豪国としてブラジルとスペインを苦しめるようになり、二重国籍を持つブラジル人だらけだったイタリアは徐々に純粋なイタリア人の割合を増やし、2014年に2003年以来の欧州選手権制覇を果たした。
そしてこの10年で最も変わったのが、日本だ。この10年で最も進化した国とも言える。
2004年に世界選手権に初めて出場した日本。パラグアイに37分に勝ち越しゴールを奪われ、4-5で負けると、2戦目のイタリアには0-5と大敗。最後のアメリカ戦は1-1の引き分け。1勝もできず、1次リーグ敗退に終わった。2008年大会は2勝したが、ブラジルとロシアに大敗し、1次リーグで姿を消している。
しかし、日本は着実に強くなっていった。
2007年に全国リーグであるFリーグが開幕。名古屋にはプロクラブが誕生し、リカルジーニョのような世界的な名手も所属し、選手たちが切磋琢磨する舞台ができ、環境は整備された。
2012年のワールドカップでの躍進はチームを指揮するミゲル・ロドリゴの手腕ももちろんだが、Fリーグ創設のひとつの結実でもあった。ブラジルとポルトガルと強豪国と同組ながらワイルドカードで史上初めての決勝トーナメント進出を決めた。ブラジル代表監督マルコス・ソラトは初戦の後に日本の現在地を「強豪国の入り口に立っている」と評した。2004年世界選手権で1勝もできなかった国は、2012年のワールドカップで決勝トーナメントに進出した。日本はこの10年で「強豪国の入り口」にまで辿り着いたのだ。
日本はこの10年で急激な成長曲線を描いてきた。果たして日本は強豪国として定着するのか。そしてブラジル、スペインといった大国とタイトルを争うことになるのか。
2000年の世界選手権決勝でブラジルに勝利し、史上初めてスペイン代表を世界王者に導いたダニエルはこう話していた。
「ブラジルに『いい試合をする』のと『勝つ』のでは全く違う。『勝つ』のは本当に難しい」
日本はこれからはダニエルのいう"難しさ"を痛感するような国にならなければならない。ましてや日本は2020年のワールドカップ開催地の有力候補地だ。「強豪国の入り口」で止まっている時間はない。2020年まであと6年。そしてその布石となる2016年まであと2年。今まで以上のスピードで進化する気概と志が求められる。
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