vol.17 「キケの矜持」

文■座間健司

 偉大なるキャプテンのクライマックスが幕を開けた。

 5月20日、プレーオフ準決勝が始まる前にキケは今シーズン限りの引退を発表した。エルポソのキャプテンであり、2012年ワールドカップではスペイン代表のキャプテンでもあったキケは36歳になる。彼は2013-2014シーズンを持って、現役を引退することを決意した。

 1998年に代表でデビューしてから4度のワールドカップに出場し、全ての大会でファイナリストとなった。2000年と2004年に世界王者を勝ち取っている。欧州選手権も6大会に出場し、5度制覇した。スペインフットサルの繁栄には代表キャップ180のキケが常にいた。

 ポジションはフィクソ。ディフェンスが主な仕事となるポジションだが、攻撃でも相手チームの脅威となっていた。正確なキック技術を持つキケは右足インサイドで長短のパスを操りゲームを組み立てるだけでなく、ゴールマウスに強烈なシュートを何度も叩き込んでいた。2004-2005シーズンは37得点、2005-2006シーズンは31得点を記録している。フィクソはディフェンスだけでなく、得点を奪えるポジションであり、ゴールを決めなければならない。キケはプレーでそのことを実証した。

 インテリジェンスがあり、戦術理解度も高く、キケがいるチームはよく「監督が2人いると言われた」と評された。常にコートを上から俯瞰で捉える戦術眼を持ち、味方のコーチングも的確なことから「コート上の監督」とも呼ばれた。コーナーやキックインなど的確な判断ができるのでエルポソでも代表で彼はキッカーを任されることが多かった。

 ディフェンス、ゲームメイク、得点的確なコーチング。このようにコートの全てを掌握する姿から彼はいつしか西ドイツの名フットボラーをなぞり「カイザー(皇帝)」と呼ばれるようになった。

 個人賞にはあまり日の当たらないフィクソというポジションでありながら2009年にサッカーのバロンドールに値するフットサルプラネット選出の世界最優秀選手を受賞。スペインリーグ・シーズンMVPにもこれまでに3度選出されている。

 そんなフットサルを語る上で欠かすことができない名手をコートで見ることができるのもあと多くて3試合だ。

 今シーズンのプレーオフ決勝に進出したエルポソはインテル相手にタイトルを懸けて、5試合戦う。5試合のうち先に3勝したチームが優勝となる。エルポソはアウェーで行われた1節、2節でインテルに敗れた。もう後がない。もしエルポソのホームで行われる3、4節のどちらかのゲームを落とせば、それがキケの現役引退試合となってしまう。逆転優勝は非常に難しい。エルポソは早くも崖っぷちに追い込まれている。

引退会見の言葉

 キケは5月20日に行われた会見で引退理由を率直にこう語っている。

「現役引退の時期だ。ホームの会場に来る観衆の誰かに『キケはいつものようなプレーをしていない』と見られるのがとても怖いんだ」

 もうかつてのようなプレーのクオリティにないと自分で判断した。たとえ周りがまだ十分にトップカテゴリーでプレーできるレベルにあると思っていても、トップレベルではない自分にはキケは納得しない。自分で許すことができない。実にキケらしい。

 キケは模範だと言われる。パフォーマンスはもちろん、彼のコートでの振る舞い、コートを離れた時の言動だ。お手本にすべき選手とスペインだけでなく、世界中から言われる。引退会見でのチームメートに呼びかけるコメントにもキケのキャラクターは滲み出ていた。

「君たちのキャプテンでいられることをとても誇りに思う。君たちは自分たちが素晴らしいことを忘れないでくれ。僕たちは全てを懸けて、リーグのタイトルを勝ちに行く。引退する僕のためじゃない。君たち自身がリーグタイトルに値するからだ」

 エルポソは過去2シーズン、プレーオフ決勝で敗れている。プレーオフだけではない。国王杯、スペインカップも昨シーズンと今シーズンは決勝で敗れた。近年は国内のどの大会でも必ずファイナリストになるが決勝で敗れている。キケはそんなタイトルに恵まれないチームに自分の引退会見で「僕たちは全てを懸けて、リーグのタイトルを勝ちに行く。引退する僕のためじゃない。君たち自身がリーグタイトルに値するからだ」と呼びかけた。自分の引退会見で仲間を労う。なかなかできることではない。

 エルポソはプレーオフ準決勝2、3節でバルセロナに連勝し、逆転で決勝進出を決めた。ならば決勝も、1度あることは、2度あるのではないか。どちらにしろキケは今までのどのゲームもそうだったように最後まで勝利を諦めないだろう。



プロフィール
座間健司(ざまけんじ)
1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして"フットサルマガジンピヴォ!"の編集を務め、卒業後、そのまま"フットサルマガジンピヴォ!"編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。"2011年フットサルマガジンピヴォ!"休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。

 

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