vol.7 日本代表、20分しか持続しない心技体

 日本代表が1勝1分1敗でグループリーグを突破した。決勝トーナメント1回戦ではウクライナと対戦する。

 このグループリーグ3戦で明らかになったことがある。それは日本の現在地だ。

 日本は4点のビハインドからポルトガルに追いついている。特に後半はパワープレーを仕掛け、3点差を縮めた。相手ディフェンス網のできるエアポケットに選手を入れて、数的優位な状態をつくり、そこから選手にイマジネーションと即興で攻撃をさせる。そんなコンセプトを持ったパワープレーはスペイン人監督の母国のクラブチーム、エルポソなどが行い、昨季からかの地でこの形がパワープレーのスタンダードになりつつある。ポルトガルはそんなモダンなパワープレーを日本ができることを知らなかったのだろう。彼らは焦った。親善試合やブラジル戦でパワープレーを隠したミゲルの情報戦の勝利だ。

 ただポルトガル戦のようなことは滅多に起こらない。文字どおりの"奇跡"だ。ポルトガル戦とはドローだった。一方、リビア戦では日本は後半に3点を奪っているが、前半は1−1の引き分けと苦戦を強いられている。

 欧州の強豪といいゲームをし、フットサル後進地域のアフリカ王者に苦戦をする。これが日本の現在地だ。日本は強い相手には善戦し、実力が同じか、もしくは少し下のチームには苦戦する。今年の5月に行なわれたアジア選手権でもそうだった。ブラジル代表監督マルコスは「日本はエリート国の入り口にいる」と語ったが、今日本は強豪国へ脱皮しようと苦しんでいる。

 日本が本当の強豪国になるためにはどうすればいいのか。それは40分間、心技体ともに強豪国と戦うことができる力を身につけることだ。ブラジル戦は後半早々に2点をやられた。ポルトガル戦は開始早々だった。そしてリビア戦は後半に圧倒した。日本は高いリズムで20分間しかプレーをできない。20分いいパフォーマンスを持続するとその後、急に糸が切れた凧のようにどこかに気持ちが飛んでいってしまう。強度の強い試合、高いレベルの相手と試合をした時に40分間そのレベルを維持し続けることができるか。この問題は格上のクラブチームと対戦するスペイン遠征でも毎年露呈されている。体力ならばなんとかなる。問題なのはミゲルも指摘しているが、頭と精神だ。ずっと高いレベルでやっていると頭が疲れ、そして集中力がふと失せてしまう。とにかく40分間、心技体を持続することができない。ポルトガル戦は試合開始早々に、ブラジル戦は後半の頭がそうだった。

 この問題を解決するにはどうすればいいのか。1日や2日で治るものではない。僕は彼らの日常であるFリーグのレベル向上以外に解決策がないと思っている。Fリーグの試合が毎節ブラジル、もしくはポルトガル戦のような強度の高い試合であれば、選手たちは自然と40分間、心技体ともに戦えるようになるはずだ。それ以外に解決策は見当たらない。

 ウクライナ戦、日本はワールドカップ直前の旭川の親善試合で勝利している。このゲームでは前線からのプレスで日本はパラレラやカウンターでディフェンスの背後を狙うのが得意なウクライナを封じ込めている。

 星翔太を中心にした前線からのアグレッシブなディフェンスは日本の武器だ。ポルトガル戦の前半終了間際の星のゴールやリビア戦の後半の3得点は日本の前線からのアグレッシブなディフェンスが生み出したものだ。リビアの監督パブロ・プリエトは「ミゲルのチームが得意とする高い位置からのゾーンディフェンスに押し込まれ、私たちは最後尾でボールを失いました」と敗因が日本のそのディフェンスにあったことを認めている。日本はその武器でウクライナを親善試合のように封じ込めることができるのか。

 ただ忘れてはいけない。

 親善試合の時に日本も合宿の疲労が溜まっていたが、ウクライナも来日したばかりでコンディションは最悪だった。試合後にルチェスク監督がそう語っている。

 日本はウクライナにどう対抗するのか。ウクライナのディフェンスの裏を狙う速攻に対して、日本はラインを高くし、そのアグレッシブなディフェンスで旭川で見せたようにパスの出し手を潰しに行くのか。それともディフェンスのファーストのラインを下げて、ディフェンスの背後のスペースを消そうとするのか。

 試合のポイントはディフェンスラインの高さだ。

 また密かに僕が期待しているのは日本のセットプレーだ。ディフェンス、そしてディフェンスからの速攻と共に日本が誇る武器のひとつのセットプレーがいまだに決まっていない。

 日本が自分たちの手にしている武器を活かせば、ウクライナは親善試合の結果が示すように絶対に勝てない相手ではない。



プロフィール
座間健司(ざまけんじ)
1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして"フットサルマガジンピヴォ!"の編集を務め、卒業後、そのまま"フットサルマガジンピヴォ!"編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。"2011年フットサルマガジンピヴォ!"休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。

 

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