vol.2
フットサルとオリンピック、リオが最大にして最後のチャンスか
フットサルを五輪の正式種目に。
2000年から世界のフットサルに関わる人間が声高に叫んでいたことだ。ブラジルのサンパウロフットサル連盟は2003年からTシャツや署名を集めるなど地道な活動で訴え続けている。
「フットサルは世界で1200万人の競技人口を持ち、さらに世界100か国でプレーされている」
サンパウロフットサル連盟の会長が2010年地元メディア『temporeal』のインタビューでこう語っている。フットサルは日本でも『レジャー白書
2011』で競技人口が370万人と調査されており、オリンピックの正式種目になるにはご存知のように十分にメジャーなスポーツなのだ。
現在ロンドンで行なわれているオリンピック。4年後の2016年にはブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催される。この大会がフットサルの正式種目となる最初にして、最後の最大のチャンスとなるかもしれない。
ブラジルは言わずと知れたフットボール大国。かの国で最も有名なスポーツはサッカー、そして2番目はフットサルなのだ。
何よりも希望を抱かせるのが開催地だ。リオ・デ・ジャネイロでは、2008年にはFIFAフットサルワールドカップが開催された。ホストカントリーのブラジルがスペインとの決勝戦をPK戦の末に制し、3大会ぶりに世界王者に返り咲いた大会だ。そしてフットサルファンを大きく後押しする大きな実績がこのコパカバーナ、イパネマといった美しい海岸を持つ街にはある。2007年にリオ・デ・ジャネイロで行なわれたパンアメリカーノでフットサルが種目のひとつとして行なわれたのだ。
パンアメリカーノとは南北アメリカ大陸の国々が参加する4年に1度行なわれる総合競技大会、つまり南北アメリカ大陸のオリンピックと言っていいだろう。そのパンアメリカーノが2007年リオ・デ・ジャネイロで開催され、初めてフットサルが大会種目のひとつとして行なわれた。各国の代表選手たちは選手村に宿泊し、大会を戦った。たとえばファルカンが入村し、ブラジルの他競技の有名なアスリートといっしょに写真をおさまったりしていた。さらにフットサルの人気は高く、チケットもすぐさま完売。テレビ中継のために午前中に試合が行なわれていたにもかかわらず、ブラジルの試合は満員だった。地元紙もフットサルのブラジル代表の結果は全て1面で紹介。決勝戦翌日は「ファルカンが金メダル」という見出しが躍った。フットサルという種目はメディア、観衆の注目度も高く、大成功をおさめている。
僕はこの大会を取材したが、決して大きいとはいえない会場だったが、素晴らしい雰囲気だった。アルゼンチンとの決勝戦でボールを浮かし、相手ゴレイロをトリッキーに抜き去り、ファルカンが無人のゴールに頭で押し込んだ時だった。観衆が我を忘れて熱狂していた光景は凄まじかった。フットサルが美しいスポーツであることを改めて再確認したことを覚えている。
ブラジルフットサル連盟のバスコンセロス会長は公にフットサルのオリンピックの種目化を訴えている。フットサル大国スペインも同じだ。元スペイン代表監督であり、現在スペインリーグ会長であるハビエル・ロサノはブラジルのメディア『Gazeta
Esportiva』のインタビューでこう語っている。
「フットサルのオリンピックの種目入りは夢です。私たちはいい道を歩んでいます。最終的にフットサルはオリンピックの中にいるべきです。このスポーツは世界中で男性だけでなく、女性も子どももプレーをしています。そんな魅力的で力のあるプロフィールをフットサルは持っており、オリンピックの種目となる具体的な価値があるでしょう」
「他の競技には敬意を持っていますが、フットサルがまだオリンピックの種目ではないことは正当ではありません」
フットサルには現在、2つの統括する組織がある。ひとつがFIFUSA(国際サロンフットボール連盟)の後継となるAMF(世界フットサル連盟)であり、約20年以上前からルールなどフットサルの整備をしてきたFIFAだ。これが国際オリンピック委員会がいまだにフットサルを種目として認めない動機となっているという指摘する記事もある。また2007年にパンアメリカーノを取材した時に政治の後押しが足りないという言葉も耳にした。
スペインは首都のマドリッドがここ数年、オリンピックの開催地と立候補しているが、そのアイデアの中にフットサルが種目のひとつして入ることは真剣味を持って語られていない。
フットサルがオリンピックで行なわれる最も大きな可能性を持つのが、やはり2016年のリオ・デ・ジャネイロなのだ。今後、4年はこのスポーツにとって大きな転機となる4年間となるだろう。
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