第5回「チャリティーで救われたもの」


東北地方太平洋沖地震の被害に遭われた皆様には、深いお悔やみを申し上げます。
行方不明の方々の一刻も早い救助を願うとともに、一日も早い復興を祈っております。

1,000円、寄付をした。

中学校にあった阪神淡路大震災の募金箱に、である。

あれから16年経った今、アーティストやスポーツ選手が、うん千万?数億円の寄付をしている。

中学生の僕にとっての1,000円は、あのプロ選手にとっての1,000万円は、今の僕にとっての何円なのか。

暖かい部屋でご飯を食べながら、そんなことを考えていた。

「フットサルだからやれることがあります!」

ある人のブログにあったその言葉に、はっとさせられた。

チャリティーフットサルが、各地で行なわれているようだ。Fリーガーや地域リーガーも積極的に主催や参加をしている。いくつかのFクラブも、ファン感謝デーをチャリティーイベントに変更した。

フットサルが手軽な競技だから、Fリーグがプロリーグでないから、動きは早い。

メジャースポーツのように、新聞やテレビで大きく報道されることはないけれど、数千万円の義援金は集まらないだろうけれど。

「フットサルだからやれることがある」

チャリティーフットサル、誘われたら参加しよう。

決意は浅はかに、募金はできても募金箱は用意できない自分に、無力感を覚える。

誘いが来たのは19日、都内で2つ。21日の正午と夕方のそれぞれ3時間。

ハシゴするつもりで、双方に「参加します」と返信した。結局、夕方からのものには参加できず、迷惑をかけてしまった。

21日の午前中、神奈川から東久留米へ向かう。

フットサルなんてやっている場合か?
参加しないで、参加費と交通費分を寄付すれば?
もっと他に、やるべきことがあるんじゃないの?

電車の時刻を調べながら、自分自身に問いかける。

チャリティーとはいえ、この時期にフットサルを楽しむことに、罪悪感を覚える。

裏腹に、体はウズいている。

会場の東久留米市スポーツセンターには、約70人が集まった。

呼びかけたのは、カフリンガ東久留米の垣本右近さん。

参加費1,000円から体育館使用料を差し引いた額と、1ゴールにつき100円などの募金が行なわれた。

集まった義援金は、なんと、139,555円。けっこうな額だ。

フットサルはというと、不謹慎かもしれないが、正直、かなり楽しかった。

いろいろな人と笑い合い、たくさんのハイタッチをして、気持ちのいい汗をかいた。

楽しんでしまった。

「楽しんでしまった」が、「楽しかった」に変わったのは、最後だ。

参加者全員で円陣を組み、手をつなぎ、黙祷をした後、ある人が言った。

「無力感を感じる必要はない」

「こうやってみんなで集まって楽しくボールを蹴ったことで生まれたプラスのエネルギーは、少しずつ形を変えて、被災地まで届くから」

たぶん、正確には、そう言っていない。
ただ僕は、都合良く、そう解釈した。

帰宅途中、右近さんからメールが届く。

右近さんは、「今僕たちにできること。」を考え、このチャリティーフットサルを開催したそうだ。

目的は、義援金を集めることのみではないという。以下、メールの抜粋だ。

「少しでも多くの方にいつもどおりの生活リズムを取り戻してもらう為に。

またたくさんの人と声を掛け合い、笑いあう事ができる為に。

僕たちはフットサルやサッカーができる環境を整え、たくさんの人に元気や勇気、希望を与えていきたいと考えています。

また人の温かさをみんなで分かち合えたいなと思います。」

このチャリティーフットサルで救われたのは、僕のほうかもしれない。

2011年3月22日 高田宗太郎


高田 宗太郎プロフィール
1982年1月6日生まれ、神奈川県出身。2004年春、東海大学工学部を卒業。在学中にフットサルの魅力に取り憑かれ 、卒業と同時に当時唯一のフットサル専門誌だったフットサル マガジンピヴォ!の編集者になる。2006年春からは編集チーフを任され、2008年3月に4年務めたピヴォ!を退社。以降、フットサルライターとして活動中。モットーは「フットサルに対して謙虚であれ」。
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