第4回「知っておくべきこと、忘れてはいけないこと」

こういった類いの文章を、僕は書いた事がなかったし、まさか書くとも思いませんでした。だから、不適切な表現や配慮に欠ける言い回しがあるかもしれません。しかし、冒頭でこのような断りを入れてでも、伝えたい事があったので、久々にこのコラムを更新しました。


3月7日、2008シーズンにペスカドーラ町田に所属していたホブソン選手が亡くなった。

1986年4月10日生まれの彼は、23歳という若さだった。

ホブソン選手は、町田を退団したあと、祖国ブラジルのグアラプアーバというチームでプレーしていた。

事故は、3月6日、パルメイラスとの試合で起こった。

事故の内容は日本のフットサルメディアでは、まだ報道されていない。

その内容を伝え聞いた者として必要性を感じたので、簡素な表現になってしまうが、ここに記したいと思う。

パルメメイラスの選手が、自陣後方からロングボールを出した。

グアラプアーバ陣内のサイドライン際の深い位置に放り込まれたボールに、パルメイラスの選手が走り込み、ホブソン選手はその選手を追いかける。

そして、シュート体勢に入った相手選手に対して、ホブソン選手は、スライディングブロックを試みた。

しかし、ホブソン選手がスライディングした方向に逆行するような形で、老朽化した体育館の板がめくれ上がっていた。

約40cmのその板片は、ホブソン選手のもも裏から突き刺さり、内蔵まで達した。

直ちに病院に搬送され、集中治療室で手術が施されたが、ホブソン選手は3月7日に、帰らぬ人となった。

ブラジルではその事故の模様が、その日のトップニュースで流されたという。


今こうして書いている最中も、本当に胸が苦しくなったし、載せるべきかどうか再び悩んだ。

「不運という一言では、片付けられない事故である」という表現さえも違う。

この事故に対して、伝えるべき言葉が浮かばないというのが、正直なところだ。

だから、考えてほしいのだ。

この事故について、ホブソン選手について、フットサルについて、生きることについて、なんでもいい。

この原稿を目にした方々、1人1人に、考えてほしい。


ホブソン選手が亡くなった事を知ったときに、僕の頭に最初に浮かんだことは、彼のプレーではなかった。

成瀬駅のコンビニで、ホブソン選手とジャッピーニャ選手に、たまたま遭遇したことを僕はなぜか思い出した。

試合会場や練習会場、取材場所以外で、選手と会うことは滅多にない。コンビニで遭遇したときに僕は、「選手である前に人間なんだ」というようなことを思った記憶がある。だから、ホブソン選手の訃報を聞き、最初にその出来事が頭に浮かんだのだろう。
訃報を瞬間は、直後に控えていた第15回全日本選手権決勝トーナメント取材など、正直、どうでもよくなった。

町田の選手達もそうだったのではないかと思う。

ホブソン選手の訃報が選手に伝えられた日は、練習にならなかったと聞く。

3月12日の全日本選手権準々決勝、町田の集合写真。キャプテンの金山友紀は、ホブソン選手が着ていた2008シーズンの背番号4のユニフォームを手にしていた。

その試合のベンチ外の選手のユニフォームを持って集合写真を撮影することを、他のチームは頻繁に行なっている。

しかし町田が、このような事を行なったのは、僕の記憶にはない。

そして、町田の選手全員と、2008シーズンまで町田に所属していた府中の宮田義人は腕に喪章を巻いてプレーした。

残念だったのは、試合前に黙祷が行なわれなかったことだ。

1分間の黙祷で、地球の裏側で亡くなった選手の魂が救われるとは思わない。

しかし、刻まれる。

ホブソンという選手が試合中の事故で亡くなったという事実を、その黙祷によって知る人もいるはずだ。

そして、考える。

そこに意味があると、僕は思う。

来年の3月7日に、もし、試合が行なわれるのであれば、黙祷の時間を設けるべきだと思う。

たとえ、民間フットサル施設で行なわれるワンデー大会であったとしても。

ホブソン選手の死は、この競技に関わる全ての人々が、知っておくべきことであり、忘れてはいけないことだと思うのだ。


駄文であるし、不適切な表現があったかもしれません。しかし、ホブソン選手の死から1カ月以上経った今だからこそ伝えるべきだと思い、掲載することにしました。

最後に、ホブソン選手、本名Rodson Rocha Costaさんに、哀悼の意を表すとともに、心よりのご冥福をお祈りいたします。

2010年4月11日 高田宗太郎

高田 宗太郎プロフィール
1982年1月6日生まれ、神奈川県出身。2004年春、東海大学工学部を卒業。在学中にフットサルの魅力に取り憑かれ 、卒業と同時に当時唯一のフットサル専門誌だったフットサル マガジンピヴォ!の編集者になる。2006年春からは編集チーフを任され、2008年3月に4年務めたピヴォ!を退社。以降、フットサルライターとして活動中。モットーは「フットサルに対して謙虚であれ」。
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