健太のいないフットサル

健太のフットサル歴

日本フットサル界を長く牽引してきた藤井健太が今シーズンで引退することになった。近年では日本代表のキャプテンとして、または09シーズンのペスカドーラ町田躍進の立役者としての印象が強いが、藤井の凄さを挙げるとするならば、今年で16回目を迎えた全日本フットサル選手権の第1回の優勝者というフットサル歴の長さだろう。当時からフットサルを始め、現在までトップレベルで現役を続けているのは甲斐修侍(町田)くらいだろうか。

蛇足になるが、「当時のプレーはフットサルと言うよりもミニサッカー」と本人が振り返るように、当時のチームはサッカーの延長でしかなく、素早いカウンターが武器だったため、一部の選手は負け惜しみを含めて「ミニサッカー」と呼んでいたという。

その後、2005年にプレデターへ移籍するまで、関西を基盤にしてプレーしていたため目立つことは少なかったが、それでもシュライカー大阪の前身のMAGが、「関西で唯一関東と対抗できるチーム」とまで言われるようになったのも、藤井や岸本武志らが地道な努力を続けてきた結果である。

健太の偉大さ

さらに藤井は、関西のチームに所属しながらも関東で設立されたスーパーリーグに参戦するなど、精力的な活動を続けて、代表にも第1回のアジア選手権から選ばれている。サッカーから転身した鈴村拓也(現神戸)も関西にはいたが、他はほとんど関東在住の選手だった。

「関西にも上手い選手はいたけど、戦える選手はほとんどいなかったから、関東と関西ではレベルが違っていた。それに代表に選ばれるのはほとんどが関東の選手だから、コミュニケーションの面でも自分には不利やったね」

今ではFリーグができたこともあり全国から選手が選ばれているが、その礎を築いたのは彼らであり、彼らが代表継続して活躍していなかったら、おそらく日本のフットサルの関東偏重の割合はさらに高かっただろう。

また、クラブにおいても藤井の影響度はかなり高かった。プレデター時代では移籍初年度に関東フットサルリーグで2位に、全日本フットサル選手権では初優勝に大きく貢献した。さらにバルドラール浦安では2年連続で2位、全日本フットサル選手権でも優勝1回という記録を残している。また、移籍した町田もそれまで中位を低迷していたチームを1年目で2位まで躍進させた。

以前、ある日本代表選手が「試合への臨み方などメンタル面でお手本になる部分が多い」と言っていたように、技術だけでなく頭で試合の流れを運べる数少ない選手である。それが今で言うところの「何かを持っている」につながるのかもしれない。

健太がいない寂しさ

「ただプレーして勝つだけじゃなく、夢や何かを伝えたい。『フットサルは面白い』と思ってもらいたいし、プレーだけでなく1人の人間としても憧れの存在となりたい」

藤井は今ではなくFリーグが始まる何年も前からこう考えてフットサルを続けてきた。Fリーグという15年前には夢にも思わなかった舞台ができ、ワールドカップにも出場した。16年間も第一線を走り続けてきた事を考えれば十分だろう。

しかし、プレーはもちろん、フットサルに対する熱い想いを引き継ぐ選手は誰になるのだろうか?

すぐに思いつく選手がいないだけに、替えがいない選手がFリーグからまた1人去っていくのは、とても残念でならない。