2009年を動かす5人

世界最高峰への挑戦

ファイルフォックスで3冠を達成し、名実ともに日本のエースとなった木暮賢一郎は惜しまれながらも日本を飛び立ち、世界最高峰のスペインへ挑んだ。日本最高といえども、スペインからすれば取るに足らないレベル。しかも、彼にとって大きな壁は外国人枠であり、そのライバルはほとんどがブラジル人という厳しい状況だった。 「野球はアメリカか日本」という先入観が日本にあるように、「フットサルはスペインかブラジル」という考えがスペイン人にはある。そこに地図のどこに載っているかわからない国からきた木暮は、アピールするのに必死だった。それでも、1年目はゴールに執着し量産することができた。

苦悩、理解されない転換

ただ、それではスペインに来た意味がない。2年目以降はそれまでのスピードを生かしたストライカーのスタイルを捨てる「脱皮」が求められた。04年の世界選手権やインターコンチネンタルカップなどで身をもって経験した世界との差を埋めるためとはいえ、自分のスタイルを捨てて新しい自分を作り上げるには時間がかかり、出場時間や期待度も1年目と比べ明らかに減ってしまい、3年目も外国人枠の関係上シーズンの半分を棒に振り、シーズン途中に移籍する難しさなど、これまでにない苦労を経験した。 しかも、年に1度しかない日本国内での日本代表の試合に出れば、観客やメディアからは得点を期待され、新しいスタイルを理解されず、集大成となるはずだったワールドカップでも周囲との連携がかみ合わないまま不完全燃焼に終わり、「木暮はもうダメだ」とまで言われた

最先端の輸入

しかし、木暮は終わっていなかった。帰国し、名古屋オーシャンズに加入すると、「自分は助っ人外国人と同じ扱いだと思ってプレーする」とスペインでの3年半にプライドを持ってプレーした。 以前のような、カウンターになれば最前線で高速ドリブルでゴール前まで流れるように一気に進み、気づいたらボールはゴールに吸い込まれる。そのような光景はFリーグのピッチの上ではまったく見られない。左サイドに張り付いてからスタートする攻撃は、ショートパスをテンポ良く回しながら、中央と左を行ったり来たり、パスを出したかと思えば、ボールと同様に木暮も動く。ボールが人に向かって進むように、木暮はスペースへ向かって張り続ける。

本領発揮はこれから

それでも、木暮がスペインで身につけたプレーはまだまだ名古屋では体現できておらず、観客もリニューアルした木暮を理解するのにまだ時間を要しなければならないようだ。09年、木暮がまだ日本に残るならば、スペインで経験し学んだ事、つまり世界最高峰のフットサルが本当に日本に還元される年になるだろう。