再会した右左のドリブラー

話題をさらったドリブラー

2シーズン前、P.S.T.C.ロンドリーナは関東リーグの会議に参加しなかったため、ペナルティとして1stステージを不戦敗とされた。試合ができない辛い日々が続き、残された公式戦は全日本選手権しかなかった。

前年の関東リーグから半年以上遠ざかった公式戦。全日本選手権の神奈川県予選とはいえ、焦りと緊張が入り混じっていた。さらに、敵も相手がロンドリーナだから守勢に回ることを覚悟の上で、いつも以上に粘り強く守っていた。公式の40m×20mよりも狭いピッチもマークのズレの影響が出にくくなるため、敵にすれば守りやすかった。あらゆる状況がロンドリーナに悪影響として重くのしかかり、先制したものの追加点をあげられず、まさかの失点で追いつかれた。

だが、その窮地を救ったのが新加入の野嶋倫だった。1-1の同点に追いつかれた直後、左サイドで3人抜いて左足を振りぬくと、逆サイドネットに鋭く突き刺さった。彼のセンセーショナルデビューだった。

ロンドリーナからの決別

「フットサルをやってみたい」と高校のコーチに紹介してもらってロンドリーナに入った田中智樹も、全日本選手権の関東予選に出場するなど、チームからの徐々に信頼を掴んでいた。しかし、全国大会の準々決勝でまさかの敗退を喫し、その年のロンドリーナは終わった。試合後に撮り直しとなった集合写真に野嶋はいたが、ベンチ入りできなかった田中の姿は無かった。2人のドリブラーは、「右の野嶋に左の田中」と阿久津貴志が期待していたように、翌シーズンのロンドリーナの大きな武器になるはずだった。

ところが、野嶋は豊島明と共に大洋薬品/BANFFへ移籍し、田中は「楽しくやりたい」とロンドリーナを去った。

煮え切らない1年

野嶋は大洋薬品の3冠に貢献したが、出場時間も短く、楽しめなかった。眞境名オスカー監督や桜井GMは残留を願ったものの、満足できないフットサルに1年で別れを告げた。

一方、遊びの延長だった田中も、その物足りなさに1年で真剣の舞台に戻ってきた。「神様」と崇める豊島にアドバイスを求め、豊島から湘南へ誘われたが、1度抜けたチームへ戻ることを断り、自らチームを探し、花巻や大阪のセレクションを受けて最終的に神戸にたどり着いた。

Fリーグで対峙

そして、Fリーグ。チームは違えど、2人のドリブラーが同じ舞台で対峙した。「2年前はジョーカーだったけど、今は完全な主力」とチームから認められた野嶋と、「ドリブルはお前の武器だからどんどん仕掛けろ」と監督に言われて送り込まれた田中。初対決の軍配こそ野嶋に上がったが、観客を沸かせた勝負では田中も負けていなかった。湘南のベンチから見ていた阿久津も、「のびのびやれて合っているんじゃない」と田中の成長を感じていた。互いに違う道を選んだドリブラーが日本最高峰で戦う。

2年前では想像できなかった事を、Fリーグが引き起こしてくれた。