第35回「日系人」

「日系人」…日本のフットサル界では、日系人といえば大抵日系ブラジル人のことを指し、日本の競技フットサルの発展に多大な貢献を果たしてきた。最近では日本国籍を取る選手も多く出てきている。


日本で独自のコミュニティー
国内フットサル界の先駆者

僕が見た日系ブラジル人選手の最初の記憶は、このコラムのコーナーでも何度か紹介している、眞境名オスカーである。

ブラジルで、フットサルの前身競技であるサロンフットボールのプロ選手として活躍していたオスカーは、来日してもプレーする各チームでインパクトを与え続けた。特にFIRE FOX(ファイルフォックス)の選手兼監督としての活躍は有名で、チームが2000年前後の初期の全日本フットサル選手権で優勝しまくった頃の黄金期を作り上げた。

1989年に日本の出入国管理法が改正され、3世までの日系ブラジル人とその家族の受け入れを日本が始めたことで、多数の日系ブラジル人が、当時好景気に沸いていた日本に出稼ぎに来たといわれている。

彼らの拠点となったのが、工場の多い関東の群馬県や栃木県や、東海の静岡県、愛知県、岐阜県など。そのうちこうした拠点を受け入れ先に、日系じゃないブラジル人も来日するようになった。そして、彼らのコミュニティーの中でフットサルチームができ、プレーされてきた。

東海地域では、ブラジル人チームたちの大会である、「リーガ天竜」が行われるようになり、関東のブラジル人チームなんかもわざわざ参加していたそうである。

当然レベルは、当時の日本人のトップチームより上。そこでCASCAVEL(カスカベウ。現ペスカドーラ町田)をはじめとする日本の競技フットサルチームのいくつかが、このリーガ天竜に参加させてもらい、自分たちを鍛えるという時期があった。

僕の印象では、彼ら日系ブラジル人選手のフットサルの特徴は、基本技術がしっかりしているところだ。派手なプレーは少ないが、正確に相手の足の届かないところにボールをコントロールし、味方にタイミングのいい正確なパスをきちんとつけることができる。

そうした彼らの「止める・蹴る」の正確さを利用したサインプレーは、相当な威力で、対峙する相手としては分かっていても止められない部分があった。

もう一つは「戦う姿勢だ」。徹底的に勝負にこだわり、熱くなるとラフなプレーも多くなる。もちろんそれでゲームを壊してしまうことも多いと思うが、当時はその手の気持ちひとつで日本人がやられてしまうことも多かったようだ。

そんなブラジル人たちに、日本人チームが、最初は10点差以上をつけられて負けていたところを、研究し、頑張って、努力を重ねて、試合をする度にだんだんと点差を詰めていった過程は、彼らから度々聞くことのある思い出話である。

こうした交流から、全日本フットサル選手権では、出場する日本人チームにブラジル人が度々助っ人として参加し、活躍する姿が見られた。後に日本国籍を取得し、フットサル日本代表としても活躍した比嘉リカルド(現デウソン神戸監督)、ドゥダ(現シュライカー大阪監督)、近年、北信越の大原学園やVEEX(ビークス)の監督を務めていたジョナスなどは、そうした助っ人の代表格である。


18歳の日系人
逸見勝利ラファエルの登場

日本のフットサルがさらに盛んになり、レベルを上げ、トップ選手たちはブラジルやスペインなどの本場へ向かう機会が増えていった。その過程で、日本のブラジル人コミュニティーのフットサルは、あまり話題に上らなくなってしまった。

2年ほど前、当時国内チームを転々としていたドゥダが、Fリーグ大阪でプレーし始めたときにインタビューしたときのコメントが印象的だ。

「Fリーグに入る前、僕は2年連続で日系人の大会で優勝しました。でもFリーグは全然違って、スピードがあるし、力もあるし、戦術もあるから、もっと頑張らないといけない。Fリーグはそんなに簡単ではない。外から見るのと、中に入ってやるのでは、全然違いますから」。

しかし、Fリーグが始まると、今度はブラジルから現役バリバリの日系ブラジル人選手たちが来てプレーするようになった。引っ張ってきたのは、リーグ初年度から4連覇中の名古屋オーシャンズだ。

これは日本人のトップ選手たちよりも、日系ブラジル人選手のほうが上と判断している、名古屋のドライな戦略である。来日した選手たちは、本人がその気なら、日本国籍を早く取得できるわけで、そういう選手が増えてくれたほうが、名古屋としては都合がいい。現在は外国籍だが、ラファエル・サカイにもその可能性はある。

そうした中に、今、逸見勝利ラファエルという選手がいる。まだ18歳なのだが、すでに日本代表としてプレーし、先日のチェコとの2連戦でも活躍。この先10年の日本代表を背負っていく存在と見られている。正確なボール技術、プレー選択の判断力、気持ちの強さに、僕は昔の日系ブラジル人選手たちの面影を見る。

18歳とはいえ、幼少から10年以上フットサルをプレーしている逸見。一方、同じ日本代表でもFリーグが始まるころにフットサルを始めた、デウソン神戸の原田浩平や、バサジィ大分の小曽戸允哉、仁部屋和弘らは、まだ5年ほどの経験しかない。正直、ブラジルで育った才能ある日系人を探してきたほうが、日本代表の強化としては手っ取り早いのだ。

それでは悲しいと、かつてリーガ天竜に飛び込んでいったように、育成面でも「日系人に追いつき、追い越せ」で、日本育ちのフットサル選手の育成がなされるだろうか。ぜひそういう動きが出てきてほしいと思う。

やはり今でも、日系人は日本フットサル界に刺激を与える、貴重な存在なのだ。彼らの動向も含めた、今後のフットサル界の流れに注目していきたい。


プロフィール
菊地芳樹(きくち・よしき)
1971年7月22日生まれ、神奈川県出身。明治大学卒業後、学研に入社。サッカー雑誌、ゴルフ雑誌の編集記者を経てフリーに。現在は、サッカー雑誌「ストライカーDX」の編集スタッフとして働きつつ、他雑誌にもフットサルを中心に原稿を書いている。フットサルは90年代半ばより興味を持って取材し始め、これまで各媒体に原稿を書き、実用書も多く手がけてきた。フットサルの永続的な普及・発展に貢献したく、初心者からリピーター・マニアへの橋渡し役としての立ち位置を意識しています。
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