第27回「第1世代」

「第1世代」…90年代半ばから盛り上がり始めた日本のフットサル界で、当初から日本代表の活動などを中心に、トップレベルのフットサルをここまで盛り上げてきた人たちを、主にメディアでは、日本フットサル界の「第1世代」と呼んでいる。その第1世代の1人、藤井健太が先日、引退を発表した。

フットサルにハマり、海外の舞台で負け、
アスリートへ変ぼうしていく

今のFリーグでプレーするような、日本のトップレベルのフットサル選手たちが、この土日も全国各地で行われているであろう、民間のフットサルコートで行われるレベルの大会に出まくっていた時期がある。

1994年に生まれたフットサルが、90年代半ばから徐々に盛り上がりを見せ、2000年代に入るころの話だ。サッカーで芽が出ずにくずぶっていた20代の若者たちが、フットサルの面白さにハマり、ただ純粋にもっとうまくなりたい、もっと強くなりたいと思っていた。先駆者がほとんどいなかった時代に、少ない情報をかき集め、自分たちで考え、イチからプレーの仕方を身につけ、明けても暮れてもボールを蹴っていた時代だった。

ただ、当時は都道府県リーグや地域リーグなどの公式リーグがあまり整備されておらず、全国リーグはもちろんない。それだけに、選手たちは民間のフットサル大会に出ては、自分たちの実力を図り、レベルを上げていったのである。

そのうち強豪同士が申し合わせたり、主催側から呼ばれて、同じ大会に出ることも多くなったりした。そうやって多くの選手たちが知り合いになっていくうちに、ローカルスター的に注目を浴びていったのが、ファイルフォックスのエースだった上村信之介(現フトゥーロ)であり、カスカベウを作り、育てた、甲斐修侍(現ペスカドーラ町田)だった。

甲斐は残念ながら縁がなかったが、上村はフットサル日本代表にも選ばれ、周囲のうまい選手たちも一緒に国際試合を戦うようにもなった。しかし、ワールドカップの出場権争いを兼ねたタイでのAFCフットサル選手権2000年大会では、実力はありながら経験不足から4位となり、3枠あった出場権を得られなかった。

これには彼ら自身、強烈なショックを受けることになり、それまで以上に真剣に競技と向き合うことになった。フットサルの本場ブラジルへ足繁く通う者。フィジカル面の向上を図る者。プレー環境の整備に力を入れるチーム。それは、近所の球蹴りのうまいお兄ちゃんたちが、立派なアスリートへ変ぼうしていく過程だったと思う。

そして次第にリーグ戦は整備されていき、アスリートたちがプレーするフットサルは、見るフットサルとしても盛り上がりを見せていくようになる。徐々に全国リーグ設立の高まりも出てきたのだった。

一方で「フットサルで生活する」ことを考える選手も多く出てきた。それまでは定職につかずに、アルバイトなどで生計を立てながら、フットサルにかけている選手がほとんど。でも、日本ではプロ選手として生活できない。そうした中から、相根澄がイタリアへ渡り、市原誉昭(現町田)がブラジルでプレー。木暮賢一郎(現名古屋)と鈴村拓也(現神戸)は、スペインで奮闘した。また、小野大輔(現府中)も、イタリアやスペインでプレーした。

日本代表に食らいつき
その価値を高めた

第1世代のほとんどの選手にとって、常に頭の中にあったのは日本代表での活躍だった。AFCフットサル選手権は、2008年まで毎年行われていたので、特に国内でプレーしていた選手にとっては、そこが1年で唯一国際経験を得てレベルアップできる場だったからだ。

だから、選手たちは非常にモチベーション高く、この代表チームでの活動に臨んでいた。2003年から08年までの長期に渡って日本代表を率いたセルジオ・サッポ監督は、そんな第1世代を高く評価し、信頼し、この長期間であまりメンバーをいじらなかった。

これには次世代の若手が育たないと、批判の声も多かった。だが当時の第1世代には、ここまで頑張って築き上げてきた、俺のポジションを奪ってみろ! という強烈なプライドがあった。皆がこの代表の価値を理解し、そこに必死にしがみついていたのである。

ミゲル・ロドリゴに監督が代わり、さすがに代表チームでも次世代の若手の育成と世代交代が行われると、残念ながら第1世代はFリーグの主役の座につけなくなってきた。目立っているのは、第1世代の末弟的な存在で、まだ代表に呼ばれている木暮や小宮山友祐(現浦安)くらいだろう。それだけ彼らにとって、代表とは大きなものだったのだ。

そして、先日、藤井健太が引退を発表した。まさに代表を念頭に入れた選手生活ができなくなり、モチベーションが保てなくなったのだという。

これで第1世代の主だったメンバーからの引退は、相根に次いで2人目だ。相根はすでにK9プロジェクトを立ち上げ、全国でのフットサル普及活動に忙しい毎日を送っている。が、フットサル選手の引退後の生活というのも、また確固たるものはない。現在プレーしているFリーガーたちも、その点ではすごく不安な毎日なのだ。

ここまで競技フットサル界の道を切り開いてきた第1世代。だが、引退後の世界も彼らが切り開いていく立場にあるのだと思う。

プロフィール
菊地芳樹(きくち・よしき)
1971年7月22日生まれ、神奈川県出身。明治大学卒業後、学研に入社。サッカー雑誌、ゴルフ雑誌の編集記者を経てフリーに。現在は、サッカー雑誌「ストライカーDX」の編集スタッフとして働きつつ、他雑誌にもフットサルを中心に原稿を書いている。フットサルは90年代半ばより興味を持って取材し始め、これまで各媒体に原稿を書き、実用書も多く手がけてきた。フットサルの永続的な普及・発展に貢献したく、初心者からリピーター・マニアへの橋渡し役としての立ち位置を意識しています。
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