第9回 「AFCフットサル選手権」


「AFCフットサル選手権」…フットサルのアジアナンバーワン決定戦。人によっては「アジア選手権」といったほうが通りがいいかもしれない。1999年より開催され、今回のウズベキスタン大会で11回目を迎える。海外でのプレー経験が少ない日本のプレーヤーにとっては、国際経験を積める貴重な場。また、その先の世界レベルを目指すうえでの、ステップとなる大会でもある。全大会に出場している日本は、これまで数々の歴史を刻んできた。


経験不足が目立った
大会初期の日本

1994年にFIFA(国際サッカー連盟)の下にルール統一がなされて、フットサルが誕生した。これを受けてAFC(アジアサッカー連盟)では、99年から、アジア地域でのフットサルの普及と強化を狙って、毎年「AFCフットサル選手権」を開催するようになった。

第1回大会は、マレーシアのクアラルンプールで行われ、9カ国が参加。マリーニョ監督率いる日本チームには、ラモス瑠偉が加わって戦ったが、グループリーグを1勝2分。準決勝ではイランに2−5、3位決定戦ではカザフスタンに2−2(PK3−4)という結果で、4位に終わっている。

2000年にタイで行われた第2回は、同年のフットサル世界選手権(現フットサルワールドカップ)の予選を兼ねた大会となった。以降、4年に1度のフットサルワールドカップの年のAFCフットサル選手権が、予選を兼ねることになる。

この年は、「バンコクの悲劇」として語られてきた有名な大会だ。藤井健太、市原誉昭ら、現在の競技フットサル界の礎を築いてきた第1世代の、ほろ苦い失敗経験でもある。

世界選手権への枠は3つ。競技フットサルが盛り上がり始めた日本は、自信を持って臨んだ大会だった。ところが、準決勝でカザフスタン、3位決定戦で地元のタイに敗れて4位となり、世界への切符を逃してしまう。フットサルの知識でなら、アジアでもトップクラスの日本だったが、それをピッチ上で生かす術を知らなかった。経験のなさ、メンタル面、フィジカル面の弱さなどが指摘されたのだった。

イランのテヘランで行われた01年の第3回大会では、サッカー日本代表の10番としてプレーした木村和司が監督に就任。前回大会の失敗を受けて、鈴木正治(元横浜FM)、田北雄気(元浦和)、佐々木博和(元東京V)など、元Jリーガーを数人加えて臨んだ。しかし、準備期間が少なくて戦術的な整備もままならず、過去2大会同様4位に終わる。

それでもこの大会でデビューし、元プロたちの姿勢に刺激を受けた木暮賢一郎や金山友紀が、後の日本代表の中心となっていった。


大会を通してナンバー2の
地位を確立していった日本

02年の第4回インドネシア大会、03年の第5回イラン大会は、フットサルプロパーの原田理人監督がチームを率い、両大会とも準優勝を遂げた。日本は手堅い守備から、少ないチャンスを生かしてロースコアで勝っていく戦いを身につけた。

日本は、第1回大会から圧倒的な強さで5年連続優勝しているイランに次いで、ナンバー2の地位を確立していく。日本と近い位置にはタイやウズベキスタンが並び、その下の第3勢力はかなり力が劣るという勢力図ができあがってきていた。これまで手痛い敗戦を何度も喫してきたカザフスタンが、UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)に移籍したのも、日本にとっては大きかった。

04年の第6回マカオ大会は、選手として世界選手権優勝経験のある、ブラジル人のセルジオ・サッポ監督が指揮をとった。攻撃時に最前線に張って、ゴールに絡むプレーを担うピボを重用したサッポ監督。木暮賢一郎がそのピボの位置で大きく成長。途中から小野大輔もチームに加わり、日本は得点力のある攻撃的なチームに生まれ変わった。

このピボを使いながらゲームをコントロールするアラでは、比嘉リカルド、藤井健太、金山友紀らが活躍。守備面では相手のピボをマークする鈴村拓也や難波田治、そしてGK川原永光が自分たちの役割をしっかりと務めた。

日本は準決勝でウズベキスタンを下して、同年の世界選手権(台湾)の出場権をきっちりと獲得したが、決勝ではまたしてもイランに敗れてしまった。

しかし、チームの待遇改善の訴えを残してフットサル界を離れた木村監督以降、原田監督時代から徐々に日本代表の活動回数は増えていき、海外遠征も行われ、AFCフットサル選手権前には、日本で壮行試合も行われるようになってきた。

続く05年の第7回ベトナム大会では、この大会で特別に採用された2次リーグで、3−1と初めてイランに勝利する(決勝での再対決では、0−2で敗れた)。そして06年の第8回ウズベキスタン大会では、準決勝でイランを下して遂に優勝。日本はチームとしてのピークを迎えた。

07年に関西(大阪、尼崎)で行われた第9回日本大会では、日本は決勝で1−4とイランの巻き返しにあった。そして08年の第10回タイ大会では、準決勝でイランに0−1と敗れ、3位決定戦の中国戦の勝利で、同年のフットサルワールドカップ(ブラジル)への切符を獲得している。


2年に1度の開催へ
日本、そしてアジアの勢力図は?

09年からは新設されたAFCフットサルクラブ選手権(09年度は名古屋が出場)と、このAFCフットサル選手権を1年ごとに開催することになり、今回の第11回大会は08年以来2年ぶりの大会だ。

この間、日本はスペイン人のミゲル・ロドリゴ監督に代わり、1年間で世代交代が実施された。今回の大会メンバー14名中、AFCフットサル選手権の経験があるのはわずか4人。どんなレベルが相手でも、独特の雰囲気のあるこの大会で、現在はベテランの木暮賢一郎も、デビュー当初はうまくプレーできなかった。

Fリーグの経験はあるが、国際経験は少ないという今回の日本が、どのようなプレーをするのかが注目されている。

また、相変わらず強いイランを筆頭に、「現在の日本は3番手」とミゲル監督にいわせるほど、成長しているタイ。アジアのフットサルを知り尽くした、サッポ監督が率いるウズベキスタンなど、アジアの新勢力図を確かめるうえでも大切な大会となる。

プロフィール
菊地芳樹(きくち・よしき)
1971年7月22日生まれ、神奈川県出身。明治大学卒業後、学研に入社。サッカー雑誌、ゴルフ雑誌の編集記者を経てフリーに。現在は、サッカー雑誌「ストライカーDX」の編集スタッフとして働きつつ、他雑誌にもフットサルを中心に原稿を書いている。フットサルは90年代半ばより興味を持って取材し始め、これまで各媒体に原稿を書き、実用書も多く手がけてきた。フットサルの永続的な普及・発展に貢献したく、初心者からリピーター・マニアへの橋渡し役としての立ち位置を意識しています。
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