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2006年12月26日(火) マグフットサルスタジアムにて |
第2回 日の丸の重み |
タイムズ | 「そもそもフットサルを始めたキッカケは何だったんでしょう?」 |
藤井健太 | 「簡単に言えば大会に出場する機会があって、やった。それが選手権で、それがフットサルだった。 最初は単にミニサッカーというイメージで入った。 大会に出たら、そこに選手権や代表というのが後からついてきた」 |
タイムズ | 「選手権に出続けたのは何故ですか?」 |
藤井健太 | 「うーん。1、2、3回は専門学校でサッカーメインでやりながら。 大会自体は優勝するといういい思い出もあったし、大会の魅力・・・、サッカーではない雰囲気でできたという部分。 人が少なくても体育館で、観客も近く、囲まれた、(サッカーとは)また違った雰囲気でやれた。そういう大会の魅力もあって出てた。 フットサルをやる中で、サッカーにも生きる部分があった。考え方に余裕ができたり、アイデアが生まれたり。そういう自分の中に目に見えてわかるものがあったり、成長してるな、何か違うなという感覚があった。 サッカーを続けるにしろ、ボールタッチの違いだったりとか、自分が上を目指すなら役に立つと思えた。それが続けて(大会に)出るキッカケになったと思う」 |
タイムズ | 「卒業後、サッカーではなくフットサルを選択した理由は?」 |
藤井健太 |
「ひとつは代表に入ったのが大きいかな。世界と戦う経験ができたことが大きい。 |
タイムズ | 「そういうのが出てきたのはいつから?」 |
藤井健太 | 「世界選手権の予選のタイで負けた時。 あの時は世界選手権への出場権というのがあって、世界選手権に出ればフットサルの認知度が変わると思って、勝たないと!という強い思いはあった。でも、勝つために必要な要素を知らなかった。 勝ちたいからといって、自分のワガママだけを言ったらいいんじゃなくて、チームのバランスだったりとかを考えないといけない。そういうのを知らなかった。子供だった。 偉そうな部分があるかもしれないけど、代表には、「入れるんだ」「入って当たり前」と思ってた部分が強かった。 その後に1回代表を落とされて、(次のアジア選手権に)出てない。 タイでのアジア選手権が終わったとき、腐った部分があった。 フットサルをやめようかなという時期もあった。その後、何をするでもなくだらだら1年間フットサルやってた。 次に呼ばれたときは必死だった。 この場所には立っておきたい。自分の感謝の気持ちを1番伝えられる場所。経験させてくれる場所だから。何か次につながる場所だから。 そこからは日の丸の重みは違った。 だからやっぱりタイで負けて、落ちた後から変わった。日の丸を背負うときは、自分を出さないといけない。我慢もしないといけない。いい場所だけど、いい場所でもない。みたいな。(笑) 日本リーグができたり、プロリーグができたら、もっと変わってくる。自分のワガママは通じない。 これまでは「お前、そんなんなら、いらないよ」って言われても、また別のチームに移って、一緒の舞台に立ててしまうような環境があった。そういう大切なことがわからない選手でも一緒の舞台で戦って、そこで勝ったらまたいいや。となってしまっていた。そういう気持ちの選手が代表に入っても、絶対無理だと思う」 |
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子どもたちにサインをする藤井健太選手 |